菅野由弘 | 村尾忠廣 |
■サビのない音楽なんて山葵のない寿司のようなもの すし屋では山葵のことをサビと言いますし,サビを効かせるといいます. “効かせる”は“聴かせる”.ノミと槌から左手に持つノミが“飲み”から酒飲み=左党になったように,サビを“効かせる”から“聴かせる”, すなわち“聴かせどころ”が歌のサビになっていったのでしょう(村尾の自説). そのサビは,意外なことに60年代までの日本歌謡曲にはありませんでした. 「いい日旅立ち」の中間部(アー,アー日本のどこかに)などサビのように思われますが, これは伝統的な唱歌形式のAA’BAという二部分形式の中間で変化する部分,つまり,英語でいうブリッジにあたります. では,今日のJ.ポップスの「サビ」に近いものが登場してくるのは,いったい何時頃なのでしょうか.そして,その構造とはどういうものなのでしょう. 一般的にはサビを「盛り上がるところ」とすることが多いのですが,それでは単純に音が高いとか,長いとか,大きいなどといったレベルのことになってしまいます.サビはサビ形式として歴史的,様式的にとらえる必要があります.ただし,それだけではサビの面白さ,高揚感が説明できません.したがって,定量分析と共に,特定の作品の特異構造を情動の理論(暗意—実現プロセス)によって定性的に説明する必要があります.今回は「サビ無し」歌謡曲から「サビ曖昧」,「サビ在り」,「完サビ」にいたるまで,私たちの「サビ」定義にしたがいながら区分,定量分析しながら,サビの面白さの分析事例を展開して説明してみたいと思います. |
村尾忠廣(むらお・ただひろ) プロフィール愛知教育大学教授 1969年 東京芸術大学チェロ科卒 専門:認知音楽学 音楽教育学 現在:愛知教育大学教授 |